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Designing
New Context
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多種多様なデジタル技術を駆使し、どのように社会をデザインするべきかーー。そんな問いを国内外の有識者との議論を通じて考えていくカンファレンス「NEW CONTEXT CONFERENCE(NCC)TOKYO 2025 Summer」が6月、東京都渋谷区のデジタルガレージ本社で開催された。第一線で活躍する起業家や技術者、哲学者らがテクノロジーと未来のあり方を熱く語り合ったイベントの模様を、連載で振り返る。
2005年の初開催から20周年を迎えた今回のNCCでは、デジタルガレージ共同創業者の伊藤穰一氏と、JUNET創設者で「日本のインターネットの父」とも呼ばれる村井純氏がキーノートを担当。日本のインターネットを黎明期から牽引してきた両氏は、インターネットの過去と現在をどう見つめ、AI時代の未来をどう描くのか。その印象的な講演内容を抜粋してお伝えしたい。
<Speaker>
株式会社デジタルガレージ 共同創業者 取締役
伊藤 穰一
デジタルアーキテクト、ベンチャーキャピタリスト、起業家、作家、学者。米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ所長、ソニー、ニューヨークタイムズ取締役などを歴任。株式会社デジタルガレージ取締役。2023年7月より千葉工業大学学長。
慶應義塾大学特別特区特任教授
村井 純
工学博士。1984年日本初の大学間コンピュータネットワーク「JUNET」を設立。1988年インターネットに関する研究コンソーシアム「WIDEプロジェクト」を発足させ、インターネット網の整備、普及に尽力。初期インターネットを、日本語をはじめとする多言語対応へと導く。
(所属・肩書は公開時点)
2003年にブログが登場し始めた頃に「創発民主主義(Emergent Democracy)」というテーマで論文を執筆しました。当時は「みんなに声を与えて接続すれば、創発的に民主主義が生まれて世の中が平和になるだろう」という、かなり楽観的なアイデアを持っていました。しかし今振り返ると、そこからディスインフォメーション(偽情報)の問題など、思ったよりもネガティブなものがたくさん出てきました。テクノロジーはさまざまなことをパワーアップできますが、社会が向かっている方向へ加速させてしまうため、もし悪い方向に向かっていると悪い方向へ進んでしまうのです。
最近のAIツールの進化は目覚ましく、例えばMITの卒業生が開発した「Cursor」というソフトウェアでは、GitHubのリポジトリを知らなくてもプロンプトで「こうしたい」と伝えれば本物のソフトウェアコードに次々と変換されていきます。MITのCenter for Bits and Atomsでは、ロボットがパーツを組み立て、再生可能な部品とエネルギーで「編集可能な建物」を作る研究も進んでいます。このように、AIは今までできなかったことを実現し、プログラマーの生産性を飛躍的に向上させています。
その一方で、アメリカのテック企業ではAIによる最適化で多くの人が解雇されています。IBMでは最近、人事部の8000人をAIで完全に置き換えるために解雇したという話もあります。解雇によりローン返済ができなくなるエンジニアもいて、一種のパニック状態になっていると聞きます。日本は2030年には約80万人のエンジニアが不足すると経済産業省が予測するような社会なので、AIによって少し雇用が減っても良いという楽観的な要素もあるかもしれません。ただ、今の日本の教育のあり方は大きく変えなければならないと思っています。
今解雇されているのは、現場で手を動かすような人々です。AIエージェントに指示をしてアーキテクチャを作るような人は生産性が大幅に上がりますが、ただコードを書くだけの人はいらなくなっています。これまでの日本では「言われたことをこなせるエンジニア」を大学から輩出し、彼らが会社に入って経験を積み、マネージャーになるというキャリアパスがありました。しかし、マネージャーだけが残り、現場に入って上がっていくキャリアパスがなくなると、どこで学習するのかという問題が生じます。これまでの学びの道が切られ、トップ層だけが必要とされるような世の中で、どのような教育が必要なのかを再考する必要があります。
西洋では、神様がいて人間がいて、その下にテクノロジーがあって、それらをコントロールする、という一神教的な考え方があります。一方で東洋では「道具と一緒に生活する」という考え方があります。「道具を支配する」というよりも、「道具と一緒に暮らす」という視点の方が、テクノロジーと付き合う上ではよりよい視点ではないでしょうか。また、日本人は社会全体に対して何かを行う際に、リソースの分配とフェアネス(公平性)を重視する傾向があります。アメリカの格闘技のような競争はベンチャーを立ち上げるには良いかもしれませんが、テクノロジーが加速しているときには、よりフェアネスが必要になります。
アメリカのベンチャーでは、拡大・成長しないものは死ぬ。日本では成長がなくても生きがいを感じる力があります。この「拡大なき生きがい」を感じる力が、日本人の美学にある。これがベンチャーをやらない、リスクを取らないことにつながり、変革をしないからデジタルリテラシーも低い、と裏手に出てくることもあります。しかし、G7の中で日本は最も民主主義が安定している国であり、アジアという立ち位置で、ヨーロッパやアメリカほど極端ではない、非常に良いAI政策を立てていて、日本がアジアをまとめるリーダーになる可能性はあります。また日本は、ゲームや車のように、基本的に他で開発されたものをきちんとプロダクトにし、ちゃんと動くようにする力があります。そのため、よくハルシネーションを起こすようなAIを「きちんと使えるものにする」という点で、日本は強みを発揮できると考えています。
京都哲学を創った西田幾多郎先生は「純粋経験」という概念を提唱しました。これは、私たちが瞑想する時や、この会場に座っている時もそうですが、「人間だ」「椅子だ」と理解する前に、匂いや光を体験している状態を指します。人間は体験をしており、その絶対経験を言葉や理解に変換し、それが頭脳や知能、シンボルになっていく。AIは、このシンボルの世界に属します。体もなければ、匂いや感覚、化学、生物学的な側面もありません。
イーロン・マスク氏をはじめとする多くのAI研究者は、私たちはシミュレーションの中に生きているのかもしれないと語り、純粋経験は単なる幻想で、情報はただのビットであり、体は必要ないと考えています。この考え方は、AIが人間の代わりになることを想像することに繋がります。一方で、一人ひとりの人間がこの環境を感じ、そこから自身の価値観や違いを感じる「純粋経験」ができることこそが「人間である」という考え方は、シミュレーション主義者とは一線を画す立場といえます。
トヨタ式の「カイゼン」には3つのMー「無駄・斑(むら)・無理」をなくすという考え方があるそうです。これは茶人の利休が言った「和敬静寂」の精神に非常に近いものです。これは最適化とは少し異なり、限りなく無駄をなくすという「和」の精神に基づいた最適化と言えます。トヨタの歴史を見ると、トップダウンとボトムアップが両立していました。経営層が「なぜ、何をするか」を決め、現場の工場長は一日中現場にいて動きを見て、その場その場で「無駄だ」「無理だ」と判断する。人間が現場でのリアルな体験を上に上げ、上から方向性を与え、真ん中のシステムで無駄・斑・無理をなくすことでトヨタは動いていたのです。
私は、AIを単なる最適化ではなく、「無駄・斑・無理」をなくすためのAIとして、きちんと作れると考えています。しかし「なぜ、何をするか」という価値観や美学の感覚は、私たち自身が現実世界を体験し、その体験に基づいて価値観を作り、それを表現しなければいけません。コンピュータに任せると、できるだけお金儲けをする会社にするなど、単なる最適化になってしまいます。AIは現場を体験していないため、現場で何が起きているかは人間しか分かりません。現場を感じている人間と、世の中全体を感じている人の価値観との間にAIが入る「人間のサンドイッチ」のようなアーキテクチャーがよいのではないでしょうか。
利休は、50歳を超えてから突如、茶室で竹の筒を花入れとして使うようになりました。竹は消耗品であり、茶室で使われるものではなかったのですが、彼が持ち込むと皆が「そうだよね」と納得したのです。これは世の中の空気を読み、起きているシステムを全て理解した上で行われた「変革」でした。ルールを知らなければ型破りはできません。現在の社会で何が起こっていて、世の中がどうなろうとしているのかを理解し、進化として動くためには何を断ち切るべきかを考える。それはまるでパンクロックのようです。私たちは、今の世の中がどう変化しているのか、若い世代のバイブがどうなっているのかを理解し、社会をただ破壊するのではなく、新しい表現を可能にするような、自然な変革を起こすことが求められています。このような能力やデザインは、日本が持つ強みなのではないかと考えています。
*動画はこちら(YouTube)
<Opening Session>Opening Remarks & Keynote |NCC TOKYO 2025 Summer
福澤諭吉先生は「西洋事情」の中で、テクノロジーとの出会いを書かれています。1800年代半ば、テクノロジーが人の心や社会にどのような不安を与えるか、人が狼狽するかといったことが書かれているのですが、これはまさに今のAI時代の話だと感じます。文明とは、人間が道具を作り、社会を作っていくプロセスです。その意味で、コンピュータと、その背景にある数学、そしてコンピュータという道具を用いて社会を作っていく現代は、世界全体がデジタル社会、いわばデジタル文明、インターネット文明だと言えます。
「西洋事情」の挿絵には、人間はみんな同じだと描かれ、人、地球、テクノロジーしか登場しません。1866年に書かれたこの本には、地球に電信柱がありケーブルが引かれ、その上を飛脚がメッセージを伝えている絵があり、これはインターネットそのものです。今日のサイバー空間、インターネット空間は、人、地球、技術のみで構成されています。
インターネットは人々が自分たちで勝手に、国とは関係なく作ってきましたが、動き出すとすべての人のためのものとなるため、当然国が関わるようになります。そのような国際社会と、インターネットが作ったグローバル社会。私たちは今日、この二つの空間に完全に共存しています。インターネットの基本的な空間には、人と地球以外にドメインはありません。
プリンストン大学の眞鍋 淑郞さんがノーベル賞を受賞した際、なぜアメリカでの研究生活を選んだのかという質問に対し、「コンピュータがタダで使い放題だったから」と答えられました。眞鍋さんが研究に取り組んだ頃、コンピュータは非常に高価でした。しかし、今は皆さんもコンピュータのリソースが使い放題です。少なくともクラウドコンピューティングのような夢のコンピュータ、あるいは皆さんのポケットに入っているスマートフォンは夢のスーパーコンピュータです。すべての人の手にあらゆる使い放題のコンピュータがある。ここから出発し、人間は何をするのか、社会をどうするのかを考えなければなりません。
日本政府がクリティカルインフラストラクチャーを定義し始めた当初は、エネルギー、通信(放送と電話)、交通などが含まれていましたが、そこにインターネットが入り始めました。しかし、今最も重要なリソースはデータコンピュテーションであり、一番大事なのはデジタルデータです。しかし、デジタルデータを最も重要なクリティカルインフラストラクチャーの一部だと考えている人はまだ多くありません。しかも、この通信ラインは電気がないと動きません。
そこで今、日本でも「ワット・ビット」という新しい政策が始まったばかりです。これは、電力とデジタルデータを一緒に考え、これらを他のインフラよりも優先して考える時代になったのではないかという提案です。デジタルデータに関しては、今年から来年にかけて大きく変わるでしょう。個人情報保護法の見直しや、官民データ利活用推進基本法の見直しが来年行われます。来年は、デジタルデータが使えるか使えないかの、3年から5年に一度のチャンスが訪れます。それまでにデジタルデータ、医療データやAIで使うデータをどうするべきか、私たち国民が考え発言することで、それが法律になる可能性があります。日本から新しいAIモデルを出すとすれば、今年と来年がチャンスの年なのです。
東京都は今年4月1日から、新築の一戸建てにはソーラーパネルの設置を義務付けるようになりました。電気自動車も増えていますが、東京都は車や電気自動車への補助金も手厚いです。電気自動車はV2H(Vehicle-to-Home)で家へ給電できる技術が日本で最も発展しています。停電しても車から3日間電力を供給できる仕組みが日本にはあり、補助金も出ます。
すべての家にソーラーパネルがつき、電気自動車が増えてくると、マイクロマネジメントが可能になります。ここがAI社会の重要なところだと考えています。眞鍋さんはCO2が増え続けると地球の温度が1度上がるとシミュレーションしましたが、AI時代ではセンサーが全てを把握し、エネルギー消費を「神様の目」のように理解できれば、最適化が可能になります。隣の家と電力を共有することや、少し電力を使ったらその対価を払うマイクロペイメントも可能になります。技術的には、長年の夢だった「すべての人と家が繋がったらこんなことができるのではないか」ということが、今まさに実現可能になったのです。これは、全てが繋がり、全てのデバイスが繋がり、全てのデータが可視化されれば、最適化が可能です。ただ、現在のルールでは、電力会社の構造などにより、これができません。今までの延長線上ではできないことがたくさんあるのです。
インターネットがなぜこれほどまでに普及したかというと、標準化に他なりません。みんなが同じものを使っているからオープンなのです。オープンスタンダードだからこそ、OPEX(事業運営費)もCAPEX(資本的支出)もものすごく低いのです。新しいサービスを始めようとしてもほとんどお金がかからないため、中学生でも200万人規模のサービスを作れてしまいます。
もう一つは自律分散システムです。インターネットにはヒエラルキーがなく、みんなのボランティアで動いています。これだけの社会基盤が、みんなの自律分散で動いているのは信じられないことです。インターネットの技術そのものは自律分散システムであり、中央のコントロールがないからこそ生き延びているのです。グローバルな空間は自分たちで動くように作られていましたが、今は政府が介入してきます。これは仕方ないことです。どの国の国民もすべてインターネットに依存し、インターネットが影響を与えるため、当然国はそれに対する責任を持つわけです。
インターネットやデジタル技術が広がり、誰の手にも入るようになった一方で、「アブユーザー」、つまり悪用したり乱用したりする人が出てくることも事実です。当初はもっと明るい未来が来ると思って作っていましたが、悪いことをする人が現れます。アブユーズの反対語は「プロパーユーズ」、つまり「正しい利用」ですが、インターネットの世界で30年後のインターネットはどうなるかという質問をすると、必ず「エシカルユース(Ethical Use)」、つまり「善用」という言葉が出てきます。そしてテクノロジーのエシカルユースについては、世界において、日本人への期待が非常に大きいのではないかと感じているところです。
*動画はこちら(YouTube)
Keynote|NCC TOKYO 2025 Summer
<NEW CONTEXT CONFERENCE(NCC)>
デジタルガレージの共同創業者の林郁と伊藤穰一がホストとなり、最先端のインターネット技術やその周辺で生まれるビジネスに関心のある方々を対象に、2005年から開催しているカンファレンス。NCC TOKYO 2025 Summerは27回目の開催となった。
https://ncc.garage.co.jp/2025summer/
アーカイブ動画はこちら(YouTube)